13 ヒトと動物の芸術心理学 アフリカで30万年以上前に誕生した私たち の祖先ホモ・サピエンスの一部が,今から4万 年以上前の旧石器時代にヨーロッパにやって きた。彼らが4万年から1万4500年前の間に洞 窟や岩陰で制作した壁画は,西ヨーロッパを 中心に300 ヵ所以上発見されている(五十嵐, 2016)。フランスのラスコーやショーヴェ,ス ペインのアルタミラなどの洞窟には,ウシ,ウ マ,マンモスなどの動物が生き生きと表現され ている。動物の他にも,記号と呼ばれる幾何学 的な図形,そして稀ではあるが,この世に存在 していない生き物なども描かれている。 動物のような具象的なかたちに興味を抱くの は,それが何を示しているのかに気づくことが 大前提にある。人類は具象的なかたちにいつ頃 から意味を見出し,それを作るようになったの か,ホモ・サピエンスよりも古い化石人類の遺 物から辿ってみたい。次に,化石人類が刻んだ 幾何学的な図形と洞窟壁画の記号の違い,そし てなぜ実在しないものを想像して描いたのかに ついても考察していきたい。 具象的なかたち ラスコー洞窟の「牡ウシの広間」では,ウシ は実物よりも大きく,ウマやシカは小さく描か れている(図1)。動物の輪郭の線というもの 東京藝術大学大学院美術研究科博士リサーチセンター 非常勤講師
五十嵐ジャンヌ
(いがらし じゃんぬ) Profile─五十嵐ジャンヌ 1991年,東京藝術大学美術学部卒業。1995年,大阪大学大学院文学研究科博士前 期課程修了。1996年,パリ古人類学研究所「第四紀:地質学、古人類学、先史学」 高等教育免状(DEA)取得。2003年,フランス国立自然史博物館博士号取得(先史学博士)。2008年から現職。 専門は先史学,美術史。著書は『世界遺産ラスコー展』(共著,毎日新聞社・TBSテレビ)など。化石人類の壁画
─ 具象,幾何学形,混成像
図 1 ラスコー洞窟(フランス,ドルドーニュ県)の「牡ウシの広間」。25 メートルにわたる彩色された壁画群。 およそ 2 万年前。Cliché N. Aujoulat:Centre National de Préhistoire:MCC14 ル県)で出土したトナカイの骨を差し込んだ石 が挙げられることがある(Lorblanchet, 1999)。 そのかたちは人類の顔に見えるので,もしこれ をネアンデルタール人が具象的なかたちを作り 出す行為を行っていた証拠とすれば,具象的な 立体物を作るのはホモ・サピエンスに限ったこ とではないことを示している。 フランスの心理学者リュッケ(1876-1965) は,旧石器時代美術を具象的でない装飾美術と 装飾ではない具象美術に分けている。装飾美 術には単純なものを美しく見せる美意識が見 られ,身体や道具などに装飾を加えたり,それ を変更したりという感覚的な楽しみが前提にあ るが,具象美術を意図的に制作するには,制作 欲すなわち制作する喜びという感情的な条件と 表象化という知的な条件が必要であると考えた (Luquet, 1926)。単なる楽しみだけではなく, 様々な要素が複合的に作用しなければ具象的な 画像が生まれることはなかっただろう。 幾何学的な図形 幾何学的な図形は,ヨーロッパの洞窟壁画以 前に制作された証拠がある。最古の事例は,南 アフリカのブロンボス遺跡で発見された格子模 様が刻まれたオーカー片である(Henshilwood et al., 2003)。7万7000年前のホモ・サピエンス は実際には存在しないが,壁面に描かれた線を 見ることで動物のかたちであると人類は理解す ることができた。二次元に近い岩面に具象的な かたちを描いた証拠があるのは,ホモ・サピエ ンスの登場以降である。ここでは古い時代に遡 り,化石人類が残した三次元の立体物を二つ挙 げ,具象的なかたちを介してコミュニケーショ ンを行っていたかどうかを見ていきたい。 まず,南アフリカのマカパンスガット洞窟で 発見されたわずか6センチの丸い赤褐色の石が ある(Dart, 1974)。今から300万年前のアウス トラロピテクスが数キロ離れた場所から洞窟 に持ち込んだものである。この石には,水の作 用で自然にえぐられた二つのくぼみが並んでい る。人為的ではない遺物に関して言及するにあ たって具象的なかたちに見えるかどうかには主 観が入り込む余地があるが,くぼみは目に見 え,その石全体のかたちは人類の頭に見える。 この遺物の出土状況から,石を見つけ,拾い, 持ち帰ったと推測すれば,その一因として仲間 や家族に見せたかったと考えられる。具象的な かたちとは,そのものを見て,何かを連想でき てはじめて理解される。大きさも色も質感も異 なる自然物が何かに似ていると思うことは,の ちに象徴を多用する私たちホモ・サピエンスの 現代人的行動の根源といえよう。 次に,具象的なかたちを意図的に作った古い 遺物として,7万5600年前のネアンデルタール 人によるムスティエ文化のラ・ロッシュ=コ タール遺跡(フランス・アンドル=エ=ロワー 図 2 フォン=ドゥ=ゴーム洞窟(フランス,ドル ドーニュ県)の赤い記号《テクティフォルム》。30 センチ。およそ 1 万 5000 年前。筆者撮影 図 3 ラスコー洞窟の「牡ウシの広間」左壁に描かれた《ユニコーン》と呼ばれる混成動物像(体はサ イ,体の目玉模様はネコ科動物,頸上部はクマ,ト ナカイあるいはネコ科動物,短い尻尾はシカ科,真っ 直ぐに伸びる長い角が特徴的である)。およそ 2.6 メートル。およそ 2 万年前。Cliché N. Aujoulat: Centre National de Préhistoire:MCC
15 ヒトと動物の芸術心理学 が作ったものである。その石片に線刻された線 集合は,枠線の内側に等間隔に規則的に引かれ ているため,明らかに計画的に作られた図形で ある。 また,2014年にインドネシアで幾何学的な 図形が刻まれた興味深い遺物が発見された。そ れは50万年前のホモ・エレクトスがムール貝 に刻んだジグザグ模様である(Joordens et al., 2014)。この幾何学的な模様は,リズムを刻む 楽しみが感じられるが,意図的に刻まれた記号 かどうかは測りかねる。 ヨーロッパの洞窟壁画では,複雑な構造を持 つ幾何学的な図形から,線や点からなる単純な ものまでが残されているが,それらを総称し て記号と呼んでいる(五十嵐, 2016)。それが 槍や罠などの狩猟具の具象的なかたちを表し ているのか,あるいは実在しないものを表し ているのか,または抽象的な概念を指してい るのかは不明である。しかし,記号を比較分 析すると,いくつかのタイプに分類でき,そ れぞれ特性が異なっていることが明らかにな る。テクティフォルム(屋根のかたちをした五 角形)(図2)やクラヴィフォルム(垂直の棒 に半円形が付属した形)など,集団のテリト リーを示すと考えることができる地域限定の記 号もあれば,動物像に規則的に伴うV字形など の記号類もあり,点状記号のように動物像とは 重なる頻度が低い記号タイプも見られる。 実在しないものを想像したのか? ヨーロッパ旧石器時代には,具象的なかたち が実在する動物のみならず,実在しないものも 制作したと思われる証拠がおよそ4万年前の遺 跡から出土している。イタリア北部のフマーネ 洞窟からは赤い顔料で《角が生えたヒト》が描 かれた岩片や,ドイツ南西部のホーレンシュタ イン=シュターデル洞窟からは《ライオンマ ン》と呼ばれるマンモス牙製小立像がある。こ の彫刻は二本足のヒトが直立した姿だが,頭は ライオン,腕はトリの羽のかたちをしている。 ラスコー洞窟でも《トリ人間》と呼ばれる半 人半獣像や《ユニコーン》と呼ばれる混成動物 像(図3)が黒い輪郭線で描かれている。ピレ ネー山脈北に位置するレ・トロワ=フレール洞 窟では,《呪術師》と呼ばれる半人半獣の壁画 が3点知られている。トナカイの角,フクロウ の顔あるいは仮面,キツネの尻尾,ネコ科動物 の性器,ヒトの腕や肘,足を持つ半人半獣像1 体(図4)と,頭部がバイソンで首から下がヒ トの半人半獣像2体である。これらの混成像は 化石人類の壁画 図 4 レ・トロワ=フレール洞窟(フランス・アリエー ジュ県)の《呪術師》。ブルイユによる模写。およ そ 1 万 5000 年前。(Collectif, 1984) 図 5 ペシュ=メルル 洞窟(フランス,ロット 県)の混成動物像(全体的なシルエットはオオツ ノジカ,頭部はアイベックス,たてがみはウマ)。 1.3 メートル。およそ 2 万 5000 年前。Photo:M. Lorblanchet
16 壁画全体の1パーセントにも満たないが,怪し まれずに獲物に近づくために仮装したヒト,あ るいはシャーマンであると解釈されることが多 い。 認知考古学者のルイス=ウィリアムズは,ト ランス状態に陥ると,内在光の形象である幻視 が見えるという神経生理学の研究を援用し,幻 視の初期段階では幾何学的図形が見え,最終段 階においては半人半獣などありえない存在が見 えるため,洞窟壁画はトランス中の変性意識 状態で見えたものが描かれた結果だと考える (Lewis-Williams, 2002)。このように,壁画に 描かれる半人半獣像が想像ではなく幻視による ものだという説であるが,一つの仮説にすぎな い。 先史学者ヴィアルーにとっては,当時の狩猟 民には集団的な実体験に基づき,例えば英雄が バイソン,トナカイ,ヒトであったというよ うな神話が存在していたため,半人半獣像が 創造されたと考える(Vialou, 1987)。また,フ ランス・ロット県にあるペシュ=メルル洞窟 には,オオツノジカ,アイベックス(野生ヤ ギ),ウマといった動物が混合した壁画が描か れている(図5)。先史学者ロールブランシェ は,多くの岩面画があるオーストラリアの先住 民の精霊ニジヘビをヒントに,混成動物の壁画 は世界創造の神話を表していると考えている (Lorblanchet, 2016)。これらの仮説のように, 半人半獣や混成動物が当時の神話に基づいて作 り出されたとすると,実在しないものを想像し て描いたことになる。 おわりに ラスコー洞窟では,壁画制作に人々が協力し ながら労力を費やしていたようである(図1)。 例えば,暗闇をランプで灯し,遠くから顔料を 持ち込み,高いところに壁画を描くためには梯 子をかけるなど,様々な工夫が必要であった。 そんな洞窟の中で,自らの世界観や神話を反映 させた壁画を描いたり,時には骨や牙を使った 打楽器や笛を演奏したり,踊る人々もいたのか もしれない。 人類は,かたちを読み取り,伝えるという行 為を発端として,積極的にかたちを作るように なり,様々な技術を伴い,美術造形表現が多様 化・複雑化していったのではないだろうか。か たちを介したコミュニケーション能力を高めた 人類は,ホモ・サピエンスが登場してからは神 話を作り,実在しないものも想像するように なった。洞窟壁画は,具象的なかたち,幾何学 的な図形,混成像が岩面上に構成された現存す る最古の証といえよう。 文 献
Collectif(1984) L’Art des Cavernes. Atlas des grottes ornées paléolithiques françaises. Ministère de la Culture. p.406.
Dart, R. A.(1974)The waterworn australopithecine pebble of many faces from Makapansgat. South African Journal of Science, 70 , 167-169.
Henshilwood, C. S. & Marean, C. W.(2003)The origin of modern human behavior. Current Anthropology, 44 , 627-651.
五十嵐ジャンヌ(2016)「5つのキーワードで知る洞窟 壁画」海部陽介・五十嵐ジャンヌ・佐野勝宏『世界 遺産ラスコー展』毎日新聞社・TBS テレビ,pp.90-102.
Joordens, J. C. et al.(2014)Homo erectus at Trinil on Java used shells for tool production and engraving. Nature, 518 , 228-231.
Lewis-Williams, D.(2002) The mind in the cave: Consciousness and the origins of art . Thames & Hudson.〔D. ルイス=ウィリアムズ/港千尋(訳) (2012)『洞窟のなかの心』講談社〕
Lorblanchet, M.(1999) La naissance de l’art. Genése de l’art préhistorique . Éditions Errance.
Lorblanchet, M.(2016)《Antilopes》 et serpent arc-en-ciel. In Sacco, F. & Robert E.(eds.) L’origine des représentations: regards croisés sur l’art préhistorique . Ithaque. pp.51-55.
Luquet, G.-H.(1926) L’art et la religion des hommes fossiles . Masson.
Vialou, D.(1987) L’art des cavernes. Les sanctuaires de la Préhistoire . Le Rocher.